小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 1.考えるための準備体操|Takamura|note https://note.com/funyonyon_/n/n8f4251f11812
5.
この二つの記事をもとに小山田さんを非難するので あれば、それらの間にある食い違いを解消して、 つじつまがあった理解を自分なりに作ったうえで、 非難するべきでしょう。いや、「するべき」もなにも、 この二つの記事を自分で読んだ方は、意識的にでは ないにせよ、そうしないではいられないはずです。 まともにものを考える、ということが それを要求するからです。
そうしないでいられるのは、 自分の考えが矛盾しているかどうかも気にせず、 自分の非難の言葉に根拠があるかどうかも気にせず、 とにかく人を叩ければよいと思っている人に ちがいありません。
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高村さんの文章は、めっちゃざっくり言うと、 「ROJとQJに食い違いがあるため、 あの二誌を読んだ上で小山田を批判する場合、 『彼に不利な憶測』を含む批判となる」 すなわち 「小山田は障害者に大便を食べさせるいじめをした」も 「障害者に性的ないじめをした」も、不当な批判である てことですね From: kobeni at: 2021/08/07 15:47:35
もっとめっちゃ簡単にいうと、 「人の人生を変えるかもしれないバッシングや 報道を行うときには、ちゃんと事実かどうか きっちり確認してからするべき」 じゃないでしょうか 当たり前のことのように感じるが! From: kobeni at: 2021/08/07 15:48:44
外山恒一noteが「当時の時代状況」や 「小山田圭吾と村上清の心の動き(推測)」を元に 小山田の責任を切り分けていった一方、 高村さんはとことん紙面上の情報を付け合わせて、 バッシングしてる側への自問自答を促すという、 大変な取り組み 小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 twitter.com/i/web/status/1423900035087953921 From: 3am_sp at: 2021/08/07 15:53:17
これは大変だと思います。大変だけれど、 たとえMellowでもWaveを起こしていくしかない という決意を感じます。 From: 3am_sp at: 2021/08/07 15:54:24
なぜ大変かというと、外山恒一noteの時も指摘したけど、 バッシングする側の人の大多数 (高村さんnote言うところの「パートナー」と 「愛する人」が違う可能性を微塵も考えない人)は、 この文章を熱心に考えながら読んだりしないから。 これを読んで納得する人は、既に小山田の件で 熟考を経てる可能性大。 From: 3am_sp at: 2021/08/07 18:27:13
とはいえ何故この記事に意味があると思うかというと ・小山田の件について考えてきた人達側の 「考え方(情報の捉え方)の補強」 ・「小山田をなんとなくでバッシングすることの空虚さ」 を炙り出し、徐々に世間の空気にも影響を与えられる (かも) と思うので。 From: 3am_sp at: 2021/08/07 18:27:13 |
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