らくがき日記ナスカ ってナんスカ


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...... 2021年07月19日 の日記 ......
■ (無題)   [ NO. 2021071901-1 ]
小山田圭吾と和光学園のインクルーシブ教育2
- 自動ニュース作成G
https://gnews.jp/20210719_060421





【卒業生インタビュー】なぜ和光大学に進学したのですか?
-赤岡直人さん(46E) | 和光大学同窓会
http://wako-daigaku-dousoukai.info/forum/interview/no1/

 私は、中学校時代からフォークやロックに親しんでいて、
 レコードや書籍の入手はもちろん、コンサートに出かけたり、
 仲間とコンサートを企画したり、レコードの自主制作を
 行ったりと、それなりの音楽活動をしていました。
 そんな中で、高校時代に大好きなロックバンドが
 ありました。伝説のロックバンド「ジャックス」です。

 1969年の夏に岐阜県中津川で行われた
 「第1回全日本フォークジャンボリー」で、
 朝霧にけむる野外ステージの前に座り込んで、
 「今日ここで解散します」というジャックスの最後の
 ステージを見ました。残念で涙がこぼれました。
 そのジャックスのメンバーが、なんと和光大学の出身
 だったのです。ギターとボーカルの早川義夫さん、
 ベースの谷野ひとしさん、リードギターとボーカルの
 水橋春夫さんの3人です。この事実が、私に、
 「絶対に和光大学に入ろう」と決意させました。

 和光大学に入学してみて、もちろん「ジャックス」の
 3人はいませんでしたが、あの「ジャックスの精神」
 みたいなものは、確かに当時の和光大学には残っていました。

 また、「ジャックス」と同じ頃「休みの国」という
 名前で音楽活動していた高橋照幸さんの仲間たちも
 まだ在学していました。



【コラム】木田高介の果たした大きな役割
: HMV&BOOKS onlineニュース (2011-11-22)
https://www.hmv.co.jp/news/article/1111100042/

 ジャックスの音楽の特異性についてはここでは多くを
 語らないが、早川義夫という不世出の天才ともう一人の
 隠れた天才、木田高介がジャックスの音楽の核である。

 早川義夫には木田高介がいた。しかもそれは、
 小さな実験大学と言われた和光学園の一年後輩という
 ごく身近なところに存在していた。


木田高介 - Wikipedia

 新潟県立新潟高等学校 を経て和光高校卒業後、
 東京藝術大学音楽学部打楽器科に入学。
 在学中に、ジャックスに参加した。


木田高介 - ホワイト・ムーン


ジャックス - どこへ


ジャックス - 運命の囚人


水橋春夫 - Wikipedia

 和光大学経済学部で学んだ。

 晩年には、ジャックスのベーシストだった
 谷野ひとしと「水橋春夫グループ」を結成


水橋春夫グループ - 黄昏の記憶


ジャックス - つめたい空から500マイル


谷野ひとし - Wikipedia

 和光大学において、早川義夫と知り合い、
 ジャックスのメンバーとなった。

 ジャックス解散後は『休みの国』のレコーディングに参加、
 後に2回にわたって北欧へ移住。


谷野ひとし - ジョーのロック


早川義夫 - Wikipedia

 和光学園高校卒業、和光大学中退。


ジャックス - マリアンヌ


ジャックス - 堕天使ロック


佐久間正英 - Wikipedia

 東京都立杉並高等学校に在学していた頃から
 音楽家を志していたが、
 「その為には音楽バカになってはまずい。
 音楽より人間のことを知らなければいけない」
 と考えて、和光大学人文学部人間関係学科に進学、
 心理学を専攻した後に卒業。


早川義夫 - サルビアの花 (佐久間正英+熊坂るつこ)


早川義夫+佐久間正英 - この世で一番キレイなもの


休みの国 - Wikipedia

 1969年3月 - 和光大学に在籍していた高橋照幸が、
 寮で相部屋だった谷野ひとしを介して親交があった
 ジャックスの合宿に運転手として参加し、
 練習の合間に自作の歌を録音する。
 そのときのバック演奏は早川義夫を除く、
 当時のジャックスのメンバー(活動末期のため、
 つのだ☆ひろがドラムを担当している)。


休みの国 - 追放の歌

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