らくがき日記ナスカ ってナんスカ


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...... 2018年07月15日 の日記 ......
■ (無題)   [ NO. 2018071501-1 ]
信者を集めて年収1千万? カルト化するネトウヨ商売の闇
- 自動ニュース作成G
http://gnews.x0.com/20180715_100220/

 >[#9] 毎回なんだがこの手の連中のネトウヨの定義が
 >現実に即してなくて読む気が失せる



信者を集めて年収1千万? カルト化するネトウヨ商売の闇
: 文春オンライン (2018.07.12)
http://bunshun.jp/articles/-/8115

 >遊び心を失ったネトウヨ

 >安田 話が変わりますが、いわゆるネット右翼の姿が
 >以前とは変わってきている印象があります。

 >古谷 具体的にはどういうことでしょう?

 >安田 ゼロ年代までのネット右翼って、『2ちゃんねる』
 >あたりの不謹慎文化の延長にあったと思うんですよ。
 >本気で排外主義を唱えていたというより、世間の
 >きれいごとや戦後日本の常識を揶揄したり、
 >マスコミや広告会社のヤラセをぶち壊したりすることに
 >ウエイトを置いていた印象です。
 >不謹慎ネタが好きなネットのオタクたちが
 >アーリーアダプターだったというか。 (中略)

 >古谷 なるほど。同感です。在特会などの
 >「行動する保守(自称)」が表舞台に登場してから、
 >ネット右翼の質は劣化したと思います。それまでの、
 >ネットのオフ文化が持っていた丸い部分や遊びの部分が
 >一切なくなって、ものすごく一直線に
 >ヘイトをやるようになった。

 >これに対して、保守ムラの言論人や一部の議員も、
 >ネット上で手っ取り早く賞賛を集めるために
 >論調を過激な方に転換した。結局、穏健で
 >まだしも遊びのあるネット右翼というのは
 >「サヨク」認定されて駆逐され、
 >あるいは沈黙してしまって現在があるわけです。



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西部邁、中島岳志の師弟対談 保守と右翼の間にある大きな違い
〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) (2017.4.24)
https://dot.asahi.com/aera/2017042400072.html


 >──いわゆる「ネトウヨ」は、
 >保守思想にシンパシーを感じている人も多い。
 >保守からはどう見られているのでしょうか。

 >中島:彼らは保守思想にすらコミットしていないと
 >思います。左翼が言っていることが気に入らないという
 >「反左翼」という意識だけではないか。

 >西部:でも、この「反左翼」の歴史は長い。
 >何十年も前から有名な右派論客にも、
 >「反左翼」だけの人間はたくさんいる。
 >それが次第に数を増やして、ネットにあふれている。
 >ただ、彼らの言葉が過激になったことの背景はある。
 >戦後70年間、言論界のみならず学界、経済界、政界も
 >左翼思想になじむ言動をしないとパージされてきた。
 >それに反抗するのだから、
 >極端な人間が一定数増えるのは必然です。


 >中島: (中略) 双方が「アンチの論理」で
 >やりあったからぐちゃぐちゃになったんです。

 >西部:ネトウヨにはある種の反知性主義としか
 >言いようのない、下品な言葉遣い、他人に対する
 >誹謗中傷、罵詈雑言があるらしい。
 (中略) 
 >昔の保守政治家には、相矛盾した二つをギリギリ
 >つなげる微妙で繊細な語彙、ユーモアがあった。
 >今は、それもなくなり、ただの乱暴な言葉だけだ。
 (中略)

 >中島:朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です。
 >ちょっとでも理想と違うと糾弾する。どっちもどっちです。

 >西部:われわれのような真の保守たらんとする者たち
 >から見れば、勝手にやってくれということですよ(笑)。




 >戦後70年間、言論界のみならず学界、経済界、政界も
 >左翼思想になじむ言動をしないとパージされてきた。

 >ちょっとでも理想と違うと糾弾する。




   検索 「竹山道雄 エンタープライズ」



 >竹山 道雄(タケヤマ ミチオ)とは - コトバンク

 >昭和期のドイツ文学者,評論家 元・東京大学教授。

 >戦後の22年に発表された戦争批判の長編小説
 >「ビルマの竪琴」は映画、演劇化されて広く共感を
 >呼んだ。また評論家として戦中は軍部を批判、
 >戦後は進歩的思想に反対し続けたリベラリストで、
 >43年には「米原子力空母エンタープライズの寄港に賛成」
 >と発言、論争を呼んでいる。



浅薄な言論。 - 和田浦海岸 (2010.10.28)
https://blog.goo.ne.jp/wadaura1542/e/3e0049f3420049f41b01c197d5d38697

 >「あの小説を書いた前後のことは、竹山さん自身が
 >『ビルマの竪琴ができるまで』の中に述べている。
 >戦地からの気の毒な復員兵
 >(その多くは彼の教え子だった)を毎日のように見て、
 >『義務をつくして苦しい戦いをたたかった人々のために、
 >できるだけ花も実もある姿として描きたい』
 >というのが動機だった。
 >『当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持は、
 >新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。
 >人々はそういうことは考えませんでした。それどころか、
 >『戦った人はたれもかれも一律に悪人である』
 >といったような調子でした。日本軍のことは
 >悪口をいうのが流行で、正義派でした。義務を守って
 >命をおとした人たちのせめてもの鎮魂をねがうことが、
 >逆コースであるなどといわれても、私は承服することは
 >できません。逆コースでけっこうです。あの戦争自体の
 >原因の解明やその責任の糾弾と、これとは、まったく
 >別なことです。何もかもいっしょくたにして罵っていた
 >風潮は、おどろくべく軽薄なものでした』・・・」(p316)

 >このあとに、本題のテーマを語られるのですが、
 >原子力空母エンタープライズの佐世保入港問題での
 >竹山道雄氏の意見を朝日新聞が掲載して、
 >それに「声」欄で反対の意見が書かれ・・・・

 (中略)

 >これを読んで、私は唖然となった。
 >つまり、朝日新聞社がボツにしていたのである。

 (中略)

 >投書主、とくに竹山さんを批判する人に、
 >職業を主婦や学生と書いている人の多いのは面白いが

 (後略)



古本虫がさまよう (2014'08.28)
http://kesutora.blog103.fc2.com/blog-entry-1692.html

 >投書声欄で思い出すのは、『ビルマの竪琴』の著者、
 >竹山道雄さんがエンタープライズの寄港に賛成する
 >コメントを朝日(昭和43年1月17日)に寄せたところ、
 >「声」欄に37歳の主婦の「今いずこ『ビルマの竪琴』」
 >なる、竹山氏を一知半解で論難する投書が掲載された。

 >それをきっかけに、竪琴論争が「声」欄で二カ月近くも
 >続いたそうな。

 >そして、最後には竹山さんの投書を「没」にして
 >論争は終わったという。

 >竹山さんは朝日的価値観の平和主義史観に反する知識人
 >として、声欄でスケープゴートにされたといえる。



馬場公彦著「『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史」
2004年法政大学出版局刊・3の3 知的漫遊紀行 (2007.05.30)
https://plaza.rakuten.co.jp/ryu32/diary/200705300000/

 >1968年、ベトナム戦争のときアメリカの原子力
 >エンタープライズが佐世保に寄港したので
 >大反対運動が起きた。
 >朝日新聞はときの5名の識者に賛否を聞いた。
 >その中で唯一、竹山道雄氏が寄港賛成を表明した。
 (中略)
 >この竹山氏の新聞記事を見たある主婦から投書が来た。
 >投書の趣旨は、原子力空母寄港賛成論を朝日新聞に
 >書いた竹山道雄さんは、あの美しい「ビルマの竪琴」を
 >書いた竹山さんでしょうかというもので、
 >いまだに原爆症で苦しんでいる人たちの言葉を一つ
 >聞いたこともないのですかと多少感情的な投書だね。

 >このような投書が「ビルマの竪琴」を見たファンから
 >多く来たというね。
 (中略)

 >竹山氏は言う。
 > 平和への心情と平和を守るための方法とは別問題である。
 > それなのに戦争か平和かの二分法で非武装を主張して
 > 譲らないヒステリックな姿勢を感ずる。
 > その姿勢は、戦争中は軍に追従し、敗戦後は軍人を
 > 悪し様にいい、マッカーサーを礼賛したかと思うと、
 > 今は反米というように代わっただけだ。

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