らくがき日記ナスカ ってナんスカ


[PREV] [NEXT]
...... 2011年05月11日 の日記 ......
■ (無題)   [ NO. 2011051102-1 ]
【放送】なぜ、マスメディアは「脱原発」と言えないのか?
- 自動ニュース作成G

asahi.com(朝日新聞社) :
【放送】なぜ、マスメディアは「脱原発」と言えないのか?
(2011.05.10)

 >テレビからは、派手なコマーシャルが消え、タレント、
 >スポーツ選手の「日本は一つ」、「がんばれニッポン」の
 >掛け声が日増しに大きくなってきた。
 >こういう善意のオンパレードには注意を要する。
 >「助けて」と叫ぶ人に「がんばれ」と言う。
 >これは残酷なことではないのか。
 >しかも、ドサクサまぎれの「がんばれニッポン」は、
 >戦時中の「一億一心」を連想させる。








原発事故報道と戦前の新聞 - Bloggers Today
- 朝日新聞社(WEBRONZA) (2011.04.01)

 >震災の少し前、「新聞 資本と経営の昭和史」(今西光男著)
 >という本を読んでいた。
 >筆者は朝日新聞で長く記者として働いた方である。
 >第二次大戦前、朝日新聞はいったいどうやって
 >「大本営発表」の渦の中に落ちて行ったかを詳述した1冊だ。
 >社内の資料も豊富に使い、実に読みごたえがある。
 >もちろん、「朝日」を題材にして、
 >当時の新聞界全体のことを語っているのである。

 >よく知られているように、戦前の言論統制は、当局による
 >強圧的な統制が最初から幅を利かしていたわけではない。
 >最初は各社の「自主的な判断」があった。
 >自ら進んで「国策」に協力したのである。

 >同書によると、1931年の満州事変直前、朝日新聞は社説で
 >「国策発動の大同的協力」へ向けて「機運の促進」を
 >「痛切に希望」すると書いた。
 >同じころ、朝日新聞は社内の会議で、
 >「国家ノ重大事ニ処シ国論ノ統一ヲ図ルハ当然」
 >との結論が下されたという。

 >同書に登場する清沢烈の、1936年当時の批判も強烈である。
 >以下の文章は当時の月刊誌「日本評論」に掲載されたものだ
 >(引用文は現代風に書き換えた。一部省略もある)。

 >「新聞社が役人の頭で動いている証拠には、その頭が常に
 >役人本位である。役人を代えると『人事刷新』と囃したてて
 >喝采する。役人の出世・行詰まりを国民の福利と関係がある
 >かのように解釈する結果だ。外務省に行くものは外務省に、
 >陸軍省に行くものは陸軍省に、その型と思想が出来る。
 >これも自分の頭を置き忘れた結果である」
 >「こうした傾向からみて、役人の行き詰まりから来た
 >非常時心理を紙面に反映するのは当然である。
 >殊に朝日あたりは幹部が事務的になりきって、
 >主義や思想を守りきろうという熱意があろう道理はない。
 >かくしてファッショの風潮にひとたまりもなく
 >頭を下げるのである」


(中略)


 >「こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ
 >最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が
 >強ければ、何物も恐れることはありません…
 >この一億一心に民心を団結強化するためには
 >真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する
 >良き新聞を普及することが、適切有効であることは
 >今更論じるまでもありません」(大阪朝日新聞取締役業務局長)

 >「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、
 >平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、
 >欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように
 >国民の戦争生活の指針とすることが第一…」(東京朝日の記者)

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: