【放送】なぜ、マスメディアは「脱原発」と言えないのか? - 自動ニュース作成G
asahi.com(朝日新聞社) : 【放送】なぜ、マスメディアは「脱原発」と言えないのか? (2011.05.10)
>テレビからは、派手なコマーシャルが消え、タレント、 >スポーツ選手の「日本は一つ」、「がんばれニッポン」の >掛け声が日増しに大きくなってきた。 >こういう善意のオンパレードには注意を要する。 >「助けて」と叫ぶ人に「がんばれ」と言う。 >これは残酷なことではないのか。 >しかも、ドサクサまぎれの「がんばれニッポン」は、 >戦時中の「一億一心」を連想させる。
原発事故報道と戦前の新聞 - Bloggers Today - 朝日新聞社(WEBRONZA) (2011.04.01)
>震災の少し前、「新聞 資本と経営の昭和史」(今西光男著) >という本を読んでいた。 >筆者は朝日新聞で長く記者として働いた方である。 >第二次大戦前、朝日新聞はいったいどうやって >「大本営発表」の渦の中に落ちて行ったかを詳述した1冊だ。 >社内の資料も豊富に使い、実に読みごたえがある。 >もちろん、「朝日」を題材にして、 >当時の新聞界全体のことを語っているのである。
>よく知られているように、戦前の言論統制は、当局による >強圧的な統制が最初から幅を利かしていたわけではない。 >最初は各社の「自主的な判断」があった。 >自ら進んで「国策」に協力したのである。
>同書によると、1931年の満州事変直前、朝日新聞は社説で >「国策発動の大同的協力」へ向けて「機運の促進」を >「痛切に希望」すると書いた。 >同じころ、朝日新聞は社内の会議で、 >「国家ノ重大事ニ処シ国論ノ統一ヲ図ルハ当然」 >との結論が下されたという。
>同書に登場する清沢烈の、1936年当時の批判も強烈である。 >以下の文章は当時の月刊誌「日本評論」に掲載されたものだ >(引用文は現代風に書き換えた。一部省略もある)。
>「新聞社が役人の頭で動いている証拠には、その頭が常に >役人本位である。役人を代えると『人事刷新』と囃したてて >喝采する。役人の出世・行詰まりを国民の福利と関係がある >かのように解釈する結果だ。外務省に行くものは外務省に、 >陸軍省に行くものは陸軍省に、その型と思想が出来る。 >これも自分の頭を置き忘れた結果である」 >「こうした傾向からみて、役人の行き詰まりから来た >非常時心理を紙面に反映するのは当然である。 >殊に朝日あたりは幹部が事務的になりきって、 >主義や思想を守りきろうという熱意があろう道理はない。 >かくしてファッショの風潮にひとたまりもなく >頭を下げるのである」
(中略)
>「こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ >最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が >強ければ、何物も恐れることはありません… >この一億一心に民心を団結強化するためには >真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する >良き新聞を普及することが、適切有効であることは >今更論じるまでもありません」(大阪朝日新聞取締役業務局長)
>「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、 >平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、 >欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように >国民の戦争生活の指針とすることが第一…」(東京朝日の記者) |
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